部員: 2009年9月アーカイブ

ルアンパバーンの光

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ベトナムのハノイからプロペラ機で1時間あまり。着陸態勢に入った飛行機の窓からのぞくと、そこに見えたのは小さな町明かりでした。

 

ルアンパバーンはラオス北部にある人口2万人あまりの町。1995年に町全体が世界遺産に登録されています。

80以上あるという仏教寺院もこの小さな町の中に建てられているので、ぶらぶら歩きながら見て回ることができます。

それでも雨季のラオスはかなり蒸し暑くて1日歩き回ると、汗ダクダク足ガクガクになりますが(笑)。

 

町の真ん中にあるプーシーの山に登って夕陽を待ってみたものの、地平線に見える雲に太陽が隠されてしまったので、早めに山から降りて夕食をとることにしました。

メコン川の岸辺にあるレストランに入って、ラオスの国産ビール「ビアラオ」を飲んでいると、ふと空がほの明るくなったのが分かりました。

 

メコン川の向こうに見えたのは、雲の合間から空に向かって差している夕陽の光でした。

この旅行中、東南アジア独特の色や光に接してきましたが、この日の夕闇の空に見えた光は、とても特別で幸運な時間だったと感じています。

 

 

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200909271236000-1.JPG雲が多いけど、時おり雲のすき間から陽がさす日曜日。
散歩ついでに近所の神社をお参りする。境内に入るとゆらゆらと揺れる木漏れ日に優しい気持ちになる。ギラギラとしてエッジの効いたのとは異なる心持ち涼やかな印象の光。季節はボチボチと秋。

お参りを追え、静かな日曜日の住宅地を眺めながら歩いた。
散歩の帰り道、いつもの八百屋をのぞく。青森産の蕪が安い。虫喰いのある葉やツヤのある白い表情に惹かれて三つほど買う。この時、どんなふうに料理して食べるかは、まったくのノーイメージで、食べるためというよりも、ただただ蕪のその姿にすいこまれて買ってしまった。

三つの蕪の入ったビニール袋を手に歩く。いい買い物をしたと小さな満足感をもって手もとの袋に目をやると、袋からはみ出た葉に、ハート型の虫喰い穴をみつける。

ハート型というのは思いがけずみつけると嬉しい。
そしてこのハート型の穴が、確かにこの蕪が畑の土に生えていて、その蕪の葉をかじる虫がいたことを実感させてくれた。そのことに、とてもささやかな温かい気持ちになった。

そのとき写真に残そうとふと思う。でもカメラを手に持ち、構えて、あれこれしているうちに、このささやかな温度が風に消えてしまうような気がした。
この時だけでなく、そんな気持ちになることは多い。そして、たいがい写真を撮らずに終わる。ちょっとだけ後悔する、しないこともある。

ただ目の前のささやかな温かさに寄り添っていたいと思うことがある。自分という存在を消して観ていたいと思うことがある。
そして、そんなふうにいろんなささやかな温度や光を写真に撮れたらいいなと思う。自分の気持ちと自分を消したい気持ち、矛盾もあるし、うまく言えないけどそう思う。

今は、そんなふうには撮れない。いつかは、撮れるだろうか?どうだろう?
そんなことを思いながら、次のおいしい出会いが楽しみ。

三宅島観光協会

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三宅島観光協会にお世話になった、3月の三宅島撮影会ですが、
再び8月7日〜9日の3日間、菅原部長とともに三宅島を訪れました。

理由は、
(1)三宅島撮影会の写真集を三宅島観光協会と民宿「かまかわ」に届ける。
(2)11月25日〜30日に東京都庁南展望室で行われる写真展「わたしの東京」のご協力のお願い。

まずは三宅島観光協会を訪れ、再会のご挨拶もそこそこに、
写真集と写真展のポスターを横山事務局長さんに手渡しました。
次に写真展の協力のお願いをし、横山事務局長さんは快諾をしてくださいました。
とてもありがたいことです。(写真を撮り忘れました。。。ごめんなさい。)


前後しますが先週、「三宅島撮影会リポート」の完成報告をさせていただき、
三宅島観光協会のホームページにリンクのご案内をさせていただくと、
アッという間に「三宅島PhotoGallery」内に「東京観光写真倶楽部三宅島撮影会」のリンクを作成していただきました!
これもありがとうございます!


さて、今回の三宅島観光ですが、訪れた8月7日〜9日は晴天に恵まれ、とても暑い3日間でした。
普段東京で迎える夏とは全く異なる、「南国の夏」の印象です。
訪れたタイミングで「富賀神社大祭」というお祭りが8月4日〜9日の間、行われていました。
10年ぶりに復活ということもあり、島内はとても盛り上がっていました。
この「富賀神社大祭」は神輿が富賀神社を出発し、5日間かけて島内すべての5つの集落を練り歩きます。
集落から集落へ神輿が受け渡されるときに、ちょっとした小競り合いがあり、とてもハラハラです。
このお祭りのタイミングで帰省する島民の方達も見受けられました。
太鼓の音、神輿のかけ声に心を揺さぶられ、大袈裟かもしれませんが、日本人に生まれて良かった!と思いました。
この「富賀神社大祭」は通例では2年ごとに行われ、次回は2011年に行われるはずです。

インターネットでもまだまだ情報が少ない三宅島を訪れる際は、三宅島観光協会にご相談することをお薦めします。

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最後は、人が動かす。

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いよいよ2ヶ月を切った、東京観光写真倶楽部初の写真展『わたしの東京』。
さまざまな部員が、それぞれの専門分野を生かしながら準備に関わっています。
あれ?この感覚どこかで?と思ったら、学生の頃の文化祭の準備に少し似ている
かもしれないなと気づきました。
なんというか、このザワザワした感じは嫌いではありません。

思えば、もともとの企画を考えたのは、ちょうど1年ほど前。
この写真展を含め、いろんな企画がカタチになり始めているのは、なかなか感慨
深いものがあります。これも、部員のみんなが力を合わせて取り組んでいるから
こそですね。今回の写真展自身も、それぞれが地道にシャッターを切ってきたから
ゆえに、そもそも実現できるわけですから。今あらためて、この倶楽部の可能性を
感じています。
とはいえ、写真展に関してもまだまだクリアしなければならない問題がてんこもり。
気持ちとしては、「全員野球」ならぬ「全員写真」でこの難局を乗り越えたいところ
ですね 笑。

僕自身関わってみてまずびっくりしたのは、写真展ってすごくお金がかかるんだなあ
というあたりまえのこと。会場のレンタル費、展示スペースの設営費、運搬作業費、
作品のプリント費、作品のフレーム費、告知チラシ印刷費・・etc。
もちろんこれらはなんでもいいわけでなく、お客さんに気持ちよく観ていただくためには
当然クオリティも大事。でも予算は限られている、というジレンマと絶えず葛藤するわけです。
・・・ここだけの話、一応参加者は一定額の参加費を払うのですが、トータルで考えると、
全然「真っ赤っか」なんです。もうドキドキものですよ〜。
でもそこは御協力いただいている方たちの善意に、大きく支えられているのです。
今進めているクオリティのものを普通にやろうとしたら、少なくともあと2〜3倍の
お金がかかるでしょう。もちろん、お金だけでなくて、そこにはなかなか見えづらい
「時間」というものも別に注がれています。いろんな人が頭を悩ませ、知恵を絞り、
せっかくだからいいものを作ろう!という情熱を傾けてくれているからこそ、
僕もこうして写真を展示することができるんだ、という事実に感動します。
やはり、モノを動かすのは、最終的に「人」なんですねー。


僕自身、とても残念なのは、この写真展を最後まで見届けられないこと。
実は、来月頭よりかねてからの夢だった「世界放浪の旅」に1年間出ることになりました。
もう数年前から計画が進んでいたとはいえ、やはりタイミング的にちょっと微妙だなーと
悔しい思いです(個人的には夏ぐらいに写真展を実現したいとこだったのですが・・)。
なんだか中途半端になってしまって、申し訳ない気持ちで一杯です。

でも、来場してくださったお客さんが、「来てよかった」と思ってもらえるような写真展に
なる予感がしますし、そうなるように今後もますます部員のみんなが力を合わせて取り組んで
くれると(勝手に)期待しております。

どんな「東京の塊」が浮かび上がるのか、今から本当に楽しみです。

複雑なレトロ色

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青梅には20年ほど前に越してきました。越してからしばらくは都内に通勤していて寝に帰るだけでしたが、仕事場が青梅に移ってからだんだんと地元を歩くようになりました。

青梅駅周辺は「昭和レトロの町」をキーワードに町おこしをしています。旧青梅街道沿いの商店を中心に色鮮やかな映画看板が掛かり、ポスターが貼られ、いくつかの観光客向けの施設が開かれています。これはかつて繊維産業によって繁栄を極めた町へのノスタルジーでもあって、昔は映画館や撞球場、料亭をはじめ飲食店が軒を連ね、多くの芸者衆を抱えた歓楽街としても賑わったそうです。残されている往時の写真には、町おこしを施された今の姿に通じるものがあります。

地形的には奥多摩の入口に位置していて、青梅駅まで来ると北に永山丘陵が迫ります。平地は少なく、駅から南へ百メートルも歩くと後はどの道をとっても多摩川の河原まで長い下り坂になります。道はむかしのままで、うねうねと曲がり、細い路地が隠れています。そこに多くのお寺や神社が、一時より減ったとはいえ商店・飲食店が、そして住居がひしめいて建っています。

子供の頃を彷彿させてくれる商店や家屋、町並みが残る昭和レトロの町ではありますが、古い姿のまま継続していくのは困難なことです。真新しいビルやマンションも建てば空き地もあります。閉まった切りの商店もあります。

「いつまで続けていけるか、分からないねェ」
昔から青梅で商売をしている人に「この先」を聞くと、よくこういう答えが返ってきます。ただ、それが決して暗い響きにならないのが青梅らしいところです。青梅は再開発に距離を置きながらも、ゆるやかに、しかし確実に流れ続けている時間を受け入れながら、その行く末を見極めようとしているかのようです。

町おこしのレトロな演出を取り囲むように、現在進行形のレトロな町が広がっている青梅。これからもずっと撮り続けていきたい町です。

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http://iwanon.cocolog-nifty.com/

写真展に向けて 2

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20090827.jpg8月27日、「わたしの東京」のPRと告知チラシの打合せを行いました。
PRも徐々に始まっていきます。

告知チラシもいい感じに仕上がってきました。
微調整をして印刷に入ります。
部員のみなさんが係わる色んな場所に置かせていただいて、盛り上げていきましょう!

以上、ご報告でした。