2009年12月アーカイブ

背景、ボリビアより

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今、ボリビアのラパスという街にいます。
旅に出る前は、その存在さえほとんど知らなかった国でした。

富士山より高い場所に、まるでインドの街角のように人がごったがえし、
ある人はモノを売り、ある人はモノを乞います。
色とりどりの花や果物を扱う露店の横で、リャマのミイラが飾られています。
埃っぽく混沌とした空気が街を覆っております。
こんなに歩きにくい街はないかもしれません。高地な上に、街がすり鉢上になっているためとても勾配があるので、ちょっと歩いただけで息が切れます。歩道は無数の商売人が塞いでしまっており、一方車道はというと絶えず膨大なミクロバスが行き先を告げながら爆走してきます。
この街は首締め強盗が多いらしいのですが、締められる前にたいていの観光客は息切れしている状態ですから、多いのもちょっと納得です。さすがにカメラを取り出す時は注意が必要なので、あまり写真は撮っていません。でも、不思議な魅力のある街です。なんだか妙に人間くさい街だからかもしれません。
ここもあと数日しかいませんが、もう少し探索してみようと思います。

ペルーとボリビアは文化的も非常に似た国ですが、
バスで走ってみるとだいぶ雰囲気が違うことに気づきます。
ペルーは国をあげて観光収入を確保しようという意思が感じられ、
それなりに国土をきれいに保っていますが、ボリビアはもっと
いい加減というか、テキトーな感じ。国土の至る所にゴミが落ちています。
生活ぶりもペルーよりもさらに貧しい感じです。けれども、ペルーに負けず劣らず、自然がダイナミックで素晴らしい。ここラパスからも遠くを見ると雪を被った、雄大な山々が垣間みれます。

行く先々でいろんなお友達ができました。コパカバーナという港町では元外資系証券会社の日本史好きイスラエル人と、クスコではフランスのお世話好きなおしゃれ老夫婦と、同じくクスコでは村上春樹好きのドイツ人カフェオーナーと、マチュピチュでは世界貿易機構に勤めるサッカー好きと、太陽の島ではウルグアイのファンキーなファミリーと、それぞれ出逢うことができました。
もちろん、日本人の方にもたくさん会います。実に多くの日本人が、南米を旅をしていることに驚いています。女の子で一人で回っている人もとても多い。たくましいですね。
旅人同士目が合えば挨拶を交わしたり、ちょっとした会話をするのがなかなか楽しいです。

そんな感じで、元気で今日も旅しています。もう今年もあとわずかですが、みなさんお身体には気をつけてよいお年をお迎えください。
最後にほんの少しお知らせなのですが、僕がやっているバンドの新譜がこのたびAppleのitunes music storeで発売されることになりました。それにともない過去の作品も取り扱っていただくことに。ベリーアマチュアで申し訳ありませんが、もしよかったらお時間あるときにでも聴いてくださるとうれしいです。詳細は、コチラまで。

ではでは、みなさま。
少し早いですが、メリークリスマス。そして、よいお年を。

トンネル

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fukuda tonneru

「国境の長いトンネルをぬけるとそこは雪国であった。」は、川端康成の「雪国」です。その描写の美しさはないのですが、トンネルです。

いわゆる僕たちの生活の中にあるトンネルは地図上で線をひき計画されます。その本質には、曲がりくねる自然の地形をできるだけ最短距離で進みたいという合理主義的な一面があります。最短距離で進みたいわけですから、トンネルの入る側から出る側というのは、予定されたとうり間違いなく結ばれています。入ったはいいけれど何処にでるかはわかりません、ということがあってはいけませんし、そんなことは現実としてありません。

 

もう一つトンネルには、それとは異なる抽象的な転換の場として扱いがあります。
そのトンネルは距離感も変化し、出口も何処にでるかわからないという一面です。
人生の転換期、入る前と出た後では生活が変化したり、「雪国」では、トンネルを用いて気候の変化、土地の変化の意外性みたいなものを表現しています。
そこには異質なものや状態をつなぐ暗闇という異次元がそれをなしています。
ポイントはトンネル内は暗闇で、そしてどこかに繋がっているということかもしれません。

 

ちなみに、「出口のないトンネル」という表現がありますが、出口がなくなった地点でそれは、もはやトンネルではないのかもしれません。   トンネルは短いものであればいいのですが、長くカーブしていた場合入り口から入り、しばらく進むと入って来た側の入り口も進む先の出口も見えなくなることは珍しくありません。そうすると、さっきまで感じていた「この先の出口」という当然の期待感が揺らぎ、あきらかに進んでいるのだけれどその距離感はあいまいになります。トンネルですからもちろん陽の光は射しません。あわせて車なりの走行する音が反響し大音量となり、空気も淀んでいます。こうなってしまうと、陽の光が射す外界とは全くの異次元にいる感覚にさえなります。抽象的な表現での異次元と同時に、現実的にもトンネルは異次元化しているのかもしれま
せんね(笑)

 

さてさて、
写真のトンネルは羽田空港トンネルです。新しく建設中の国際ターミナルを横目に見ながら環八を進むとこのトンネルに入ります。中に入るとトンネルらしい暗闇とちょっと苦手な轟音で満たされた空間があります。このトンネルを抜けても、雪降る美しい景色も駅員さんも娘さんも現れません。   しかし、この暗闇の先にある光さす出口は大空に繋がっていると感じます。 もちろん空港内のトンネルだからというだけではありません。

河口

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fukuda kakou no shasin.JPG

 

ここは多摩川河口近くです。もう少し詳しく言えば多摩川の東京側で大田区を流れる多摩川の分流である海老取川と多摩川の合流地点です。すぐ近くには、羽田空港があり、環状8号線が通り、海老取川が羽田地区と羽田空港を隔てて流れています。

 

かつてこのあたりは要島といわれ、湿地帯であったようです。
羽田空港の建設の際に現在の場所に移転された玉川弁財天社は、昔はこの要島あたりにたっていたようで、歌川広重の浮世絵にも「はねたのわたし弁天の杜」として描かれています。

 

なぜこの場所にいるかといいますと、とても子供じみた理由でして、
世田谷区桜新町あたりが源流で都立大学、大岡山、蒲田と流れる呑川という川の流れに沿っていくと何処にでるかと思い立ち、自転車を走らせて行くうちに、気付くとこの多摩川の河口へたどり着いたのでした。

 

途中、池上本門寺で力道山の墓を発見し、丹精込めた菊の花を眺め、海に程近い糀谷では、中国語(?)なまりのおじさんにシベリアから渡ってきたユリカモメのユリちゃんについての話を聞きました。
呑川という名前の川の流れをたどりながら、いろいろ眺めたり聴いたりした為でしょうでしょうか?

 

「河は街のあれやこれやの喜怒哀楽を呑みこみながら流れていって、あれやこれやの喜怒哀楽は、この河口から海へと手放され、そのうちしょっぱい塩水にゆるゆる溶けていくのだろう。。。。」

 

なんて、以前どこかで聞いたような言葉が浮かんできました。

 

11月この日、少し強めの風が吹き、空港の漠然とした広さも手伝ってか、時より肌寒く感じましたが、ひねもす釣り糸をたらすその光景は、どこか能天気な感じがして、時間の感覚もいつもより遠くにあり、小春日和というには、ちょっと風が冷たいけれど、気分はどこか小春日和。
塩水と淡水が混ざり合う河口でナニモノカを手放しているのは何も川ばかりというわけではないのかもしれません、そんなことも思うのでした。

『上を向いて歩こう2009_GRde銀座』スライドショー

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2009年12月6日、快晴の日曜日、銀座にて『上を向いて歩こう2009_GRde銀座』が行われました!


今回は菅原部長の写真展『dansa』開催中のRICOH RINGCUBEギャラリーさんに全面的な協力を頂き、ギャラリーに併設されたワークショップスペースをお借りしての開催となりました。


今回のイベントで、参加者の皆さんが撮影した写真で作ったスライドショーをアップロードしましたので是非ご覧ください!

*再生画面の右下にあるHDマークの右側のアイコンをクリックすると
 フルスクリーンモードでスライドショーをご覧いただけます。



ありがとうございました!

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200911301038000.jpg

 

 

写真展 わたしの東京 、 無事 終えることができました。

観にいらしていただいた方、

写真展の準備、開催中のお手伝いをしていただいた方、

ご都合で残念ながら、会場までいらしていただけなかったけど、心に留めていただいた方。

本当にありがとうございました!お礼申し上げます!

 

僕個人的には、みんなで創り上げる展示という機会を初めから最後まで携わることができ

貴重な経験もさせていただきました。

会場準備の担当としては、いろいろと足らない点もあったと思っていますが、

皆さんのご協力で素晴らしい展示になりました。ありがとうございました。

 

朝から日が暮れるまで、太陽の陽の光がダイナミックに動き、白いパネルが空の色に染まり、

写真展を観に来てくださった方だけでなく写真展を目的とされていない方、

不特定多数の(それも海外の方も多く)方々に写真を観ていただき、

東京のパノラマの景色を背に「人」や「写真」や「人と人の出会い」「人と写真の出会い」など、

それらの間をゆるゆると光や時間が流れる、、、そんな展示は東京観光写真倶楽部らしい

展示だなあ、そして、「 いいなあ 」と思って観ていました。

 

あと、倶楽部として"カタチにする"という一つのステップも踏めて、カタチあるものとして、写真を撮る

際の意識も変化があるかもしれません。

そして、それぞれにいろんなカタチで次に繋がるといいですね。

 

ということで、ブログ内で恐縮ですが、会場準備係りより重ねて展示無事終了のお礼を申し上げます。

ありがとうございました!