切なさに、似ている。

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先日、久しぶりに実家へ帰った。

昨年末で退職した父は、毎日が趣味や家庭菜園に忙しいらしく、
サラリーマン時代より身体がだいぶ絞られたみたいだった。
でも、髪の毛も一気に白くなっていたのには驚いた。
きっと、いろんなものから解放された証なのだろう。
結婚46年目で、今ようやく夫婦水入らずのゆっくりした時間を
過ごしている父。「昨日もお母さんとジムで泳いだんだ」と自慢げに話した。


僕がこの世で一番撮りたいものは、父と母の写真だ。
でもこの世で一番撮るのが難しいのも、もしかしたら父と母の
写真なのかもしれない。

空気のように、いつだっているのが当たり前だった両親。
団らんの席でカメラを持ち出すことが、どうも自然にできない。
写真を撮ることが、何かの意味を持ってしまうような気がする。
このありふれた光景をいつか懐かしむことになるであろう、
未来の自分を想像しすぎてしまうのかもしれない。

姉夫婦が10年ほど前に結婚した時の写真がついこないだ出てきたので、
この日はアルバムにして持参していた。
ふたりの子供である甥(9歳)、姪(7歳)は「ウエ--ッ」と照れながら
茶化していた。当の本人たちは「今さら持ってこなくても」と、懐かしむよりも
戸惑いの色を見せていた。

おしゃまな姪は、自分のママ(姉)の花嫁姿を何度も見返していた。
「やっぱり女の子だから興味があるんだろうね」と父。
きっとあっという間にお嫁に行くような年齢になっちゃうよねという
話になったとき、ふと姉が「お父さん、メイ(姪の名)の結婚式まで生きて
もらわなくちゃね」と口にした。父は笑いながら、「そうだなあ、どうかなあ」と
少しうれしそうに孫を目にして言った。僕らは笑った。

幸せと切なさはなんだか近い。
そして、写真はそこにいつも横たわっている。

今度実家に帰る時は、ライカと三脚を持っていこうと思う。




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