市内にある織物工場跡に行ってきました。
青梅は夜具地やタオルなど織物によって繁栄を極めましたが、いま往時の「よすが」を見つけるのは簡単ではないかもしれません。
映画看板にしろ、昭和レトロにしろ、様々な「町興し」は青梅の歩んできた歴史と矛盾するものではありません。ただ、その仕掛けとは少し時間の流れがずれたまま、「よすが」は息をひそめて残っています。
写真の建物のある敷地には、かつて織物の研究に使われた棟があり、百人からいた職員の事務棟があり、大勢の女工さんたちのための広い更衣室棟がまだ残っています。そして写真の工場があります。外から見れば、紡績・織布工場に特徴的な「のこぎり屋根」の建物です。
青梅の町の姿を残したい、という思いを持っている人はこの地に多くいますが、この工場跡もいつかは整理され、違うものに姿を変えてしまうかもしれません。常にそうした時代の流れのなかにこの町はあります。
ところで、青梅で続いてきた、そしてもっとも有名な織物会社は「梅花紡織」です。その後社名ともなった「ホットマン」というブランド名で見知っている方もいるかもしれません。町にひしめいていた繊維関係の会社の多くはなくなくってしまいました。もはや青梅が「繊維の町」であったと認識されることはないのかもしれません
こうした現実の中で、いまも往時を偲ばれるこの土地と建物が守られていることが、私には奇跡のように思われました。